どこにでも行ける...はず

残りの人生でいつでもどこでも行けるよう、心身ともに軽くして整えよう。重い物は持たない。さあ、旅に出よう。

なんか悲しい。

今日、いつものように夕方散歩しながら、私は、何のため誰のためにこうして健康になろうして歩いているんだろうと、ちょっと悲しくなった。
10年前、突然愛する人を亡くし、じぶんも死んでしまいたいと思ったけれど、
それでも余生と思い生きてきた。
散歩して帰ってきたら、いつもお経を唱えてくれていた副住職がなくなったとの
お知らせが来ていた、まだ59歳、はがきを見たときは、高齢の住職の事だと思ったのに、文面をみて驚いた。
頼りないなぁと思いながらも、年忌の時にはいつもお経をあげてもらっていた。
なんて悲しいことだろう。
住職には年がたつほどに悲しみが募るといわれ、10年たとうとする今でも、亡くなった家人のことを思うと涙があふれる。
こればかりは誰にもわかってもらえないと思う。
子もなく、いつか姑がいなくなったこの家で、二人で仲良く生きていきたかった。
生きていこうと思っていた。
あれからもうすぐ10年、姑はこの家を出て、夢と現実の間を生きているけれども、私は、
微妙な年齢に差し掛かり、どうしていくのがいいのかと毎日自問している。
今日は、控えていたお酒もいつもよりたくさん飲んでしまい、なんとも言い難い日を
送ってしまい、少し後悔している。